3歩進んで2歩下がってもいい~ダイエットと摂食障害と素直な心

大好きなダンスをもっと上手に踊りたくて、糖質制限ダイエットを始めたらつい行き過ぎて、摂食障害を患ってしまいました。今は治すためにセラピーを受けながら、健康的なダイエットを模索しています。日々「私ってこういう人間だったんだ」と、病気から学ぶことがたくさん! 回復記録、揺り戻し記録、克服のヒント、素直な気持ちを書き綴っていきます★

「自分に優しくする」って、どういうこと?

私がよく人から言われるのが、この言葉です。

↓ 

「いつも真面目で頑張りすぎだから、たまには自分を甘やかして、自分に優しい時間を過ごしてね」

 

摂食障害の方には、どうやら似た性格の方が多いようなので、今日はこの「自分に優しく」について書いてみます。

 

私はずーーーーっと、この「自分に優しく」の意味がわかりませんでした。
まして「自分を甘やかす」なんて、何をどうしろと言いたいのかわからない。

 

厳しすぎる糖質制限と、低すぎる自己評価によって摂食障害になった私です。
そもそもの大前提として「私は怠け者のダメな人間である」という評価を下しているし、実際それは今でも思っています。

 

だって、部屋はすぐぐちゃぐちゃになるし、洗濯物は取り込んだあとにすぐ片付けられないし、お金の管理は苦手だし、ダラダラしちゃってよく待ち合わせに遅れるし、仕事もギリギリまで手をつけないから締切遅れるし、朝は寝坊して起きられないし、深酒するし……

 

だから「自分を甘やかす」と言われると、イコール「怠惰になる」ことだと思えてしまう。
「自分に優しく」なんてしたら、果てしなく怠けてダメ人間になってしまう。

 

見た目はキチッとしてるけど、内側はダラダラ、ゆるゆる。
こんな私の一体どこが「頑張り屋さん」なの?って。みんな、真実を知らないからだよ、って。

 

だからずっと、言葉としては「自分に優しい時間を過ごすことって大切♡」と思っていても、真の「優しさ」をわかってなかった。
マッサージに行ったり、趣味の時間を作ったり、おいしいものを食べたりすることかしら?くらいに思っていました。

 

でも、まずは周囲があれほど「あなたは頑張り屋さんだよ」というのだから、いったん信じてみようと思って。
もしかしたら、ほかの人はもう少し気を抜いて生きていて、私は実際かなり無理して生きているのかもしれないと。
「自分に優しくする」ことができたら、病気を治すヒントがつかめるかもしれないって←やっぱり真面目なのかな(笑)

 

それで、心身の声(本能的な欲求)を聞いて、自分に優しくする時間を持とうと思ったものの、本当に「何をしたらいいのか」わかりませんでした(汗)


「今日は何もしない、優しい日を過ごそう」と思っても、そもそも「優しくする」の意味がわかってないから、全然できない。
無意識のうちに、仕事やらダンスのお稽古やら掃除やら、あれもこれも詰め込もうとして、いつの間にか予定を決めて、それができないと焦ってしまう。
「いいのいいの、今日はいつ何をしても、何をしなくてもいいんだから、慌てなくていいんだよ」と、自分の心を落ち着けるだけで四苦八苦。

 

そして、心に手を置いて「今、一番したいことはなぁに?」と尋ねてみても、なかなか出てこない。
「本能的な欲求を、頑固すぎる理性が抑えてつけてる」というのが、私の病気のおおもとにあるけど、ここまでガッチリと抑え込んでいるなんて、今まで気づかなかった。


おかげで、本能的な欲求がサッパリわからない。本能的な欲求に超鈍感。
「あの人に会いたい」「あそこへ行きたい」「あれが食べたい」「これを読みたい」「こんなことがしたい」が、直感的につかめない。

 

自分のしたいことさえわからないのに、
自分を甘やかす方法なんてわからない……
自分に優しくなんてできません……って、凹みそうになった。

 

だけどね……

頭のどこかで、ぼんやりと「私にとって、自分に優しい時間ってなんだろう」「私を甘やかすとしたら、どんな方法があるんだろう」と考えながら、ゆったりと過ごしているうちに、ふと見えてきたんです。

 

★私にとっての「自分に優しくする」ことは、すなわち「感情を掘り下げる」こと。
★私にとっての「自分を甘やかす」方法とは、そこで出てきた感情を「いいよいいよ」って認めてあげること。

 

普段、蓋をしてしまいがちな”負の感情”を、ひとつひとつ掘り起こす。
そして「わぁ、これは辛かったね、我慢なくていいんだよ」「そっか、それに傷ついたんだね、でも嫌だなって言えてよかったよね」と、認めてあげる時間。


振り返ってる間は「小さな私」がいて、その子に向かって話してるようなイメージです。
数日分の見逃してしまった負の感情を手のひらにのせて、それを分析や評価するのではなく、ただ眺めて「嫌だったね」「悲しいのもわかるよ」と受け止めていく。
たまに思いきり泣いてしまうけど、それももちろんOK!

 

私にとっては、この振り返り作業こそが、まさに「自分に優しくする時間」なんだなと、やっと気づきました。
前に、認知行動療法のカウンセリングを受けていたときにやっていた振り返り作業の基礎が、とても役に立ちました。
そしたら、落ち込んでいた心が少しずつほぐれて、心が温かくなってきた。

 

過食嘔吐は、毎日ではないけど続いてる。今は週3回くらいかな。
だけど、過食する量は確実に減ってるのと、前ほどそのことに支配されて、落ち込まないようになってきました。

 

「病気である」ことは私の一部。厄介だし情けないけど、これは私のごく一部。構成要素のひとつでしかない。
私を形作るものは、ほかにもたくさんあって、ほかの何かを見て、私を好いてくれたり、興味を持ってくれたりする方がたくさんいる。
そのことを誇りに思いたい、と感じました。

 

自分に合った方法で、自分に優しく、ちゃんと甘やかしてあげるだけで、こんな気持ちになれるんだ……というのは、大きな発見であり、感動でした。
あんなに病気になった自分を嫌悪していた私が、自分に誇りを持てている。

 

そのとき、自分が一番「あそこにいたら心地いいかな」って思える場所に出向いて、のんびりと数日を振り返る時間。
嬉しかったことも、悲しかったことも、腹が立ったことも、興奮したことも、全部。
よいしょ、って掘り起こして、それぞれの感情をただ眺めて、負の感情を抱いた私のことも「うんうん」って優しく受けとめる。

 

これが私にとっての「優しい時間」。
ようやく見つけた「優しい時間」を大切に過ごしながら、ゆっくりと生きていきたい、と思っています。

 

あ、そして、こうしてブログに正直な気持ちを書いてるのもまた、私にとっては「優しい時間」です。

読んでくださっている方々、いつもありがとうございます。

 

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