3歩進んで2歩下がってもいい~ダイエットと摂食障害と素直な心

大好きなダンスをもっと上手に踊りたくて、糖質制限ダイエットを始めたらつい行き過ぎて、摂食障害を患ってしまいました。今は治すためにセラピーを受けながら、健康的なダイエットを模索しています。日々「私ってこういう人間だったんだ」と、病気から学ぶことがたくさん! 回復記録、揺り戻し記録、克服のヒント、素直な気持ちを書き綴っていきます★

トイレに「ありがとう」という気持ちを持つ

連日、ダンスの発表会に向けたリハーサルが続いていて、なかなかブログ更新できずにおりますが……

 

元気に暮らしています!

過食嘔吐は継続中ですけど)

 

継続していますが、最近は過食嘔吐しても、くよくよしすぎなくなりました。

開き直るのもよくないとは思いますが、それを気に病んで立ち止まるよりも、いつも「何らかの学びを得て、少しずつ変わっている自分」を信じられるようになってきたのです。

 

そう思えたら、病気のことより、仕事や趣味のことを考えている時間が自然と増え、以前のように「これが楽しい」と感じられるようになってきました。

 

そんななか、私がひとつ決めたことがあります。

それは、毎日しっかりと丁寧にトイレ掃除をすること!!

 

よく考えてみると、トイレには本当にお世話になっています(笑)

 

毎日の習慣としてはもちろんですが、過食嘔吐のときも、食べすぎでお腹を痛めたときも、吐く自分が嫌で号泣したときも、無理に吐いて鼻血が出たときも……

トイレはいつも私のそばに。ありがとうございます。

 

そんなトイレの掃除をおろそかにするなんて失礼だよなぁ、と思ったんです。

過食嘔吐している現実に向き合いたくなくて、吐いた翌日、きちんと掃除しないでいたことも多かった。

吐いた現実を忘れたいから、ささっと拭いてパッと蓋を締めて、見ないふり。

 

でも今、前夜に吐こうが吐くまいが、翌朝しっかりとトイレを磨くようにしました。

蓋も便座も、便器は内側も外側も、周辺の床も、ピカピカに!

新しいお掃除用具も買ってきて、細かいところまでツルツルに!

 

そしたら、それだけで気分が良くなりました。

トイレを大事に使いたいから、吐きたくないなぁ、トイレに申し訳ないなぁとさえ、思うこともあります。

トイレへの思い入れ、たっぷりです(笑)

 

ささいなことなのですが、トイレを毎朝磨くようにしただけで、気持ちに変化が生じて、吐く回数が減ったように思います。

お酒の量も減り、過食スイッチが入る前に「今日はもうお茶でいいな」と思えるようになって、シラフで帰宅して吐かずに眠る。

そんなとき、汚さなかったトイレを見ると、ちょっと嬉しくなります。今日も大事にトイレを使えて、よかったなあって。

 

私の場合、代償行為のある過食なので、対象がトイレでしたが、人によっては冷蔵庫だったり、買い物袋だったり、食器だったり……と異なるかもしれません。

 

相変わらず、試行錯誤の日々は続いていますが、コツコツと!

発表会が終わったら、また更新しますね。

 

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「治療のための糖質解除」がストレスになっていた!

このところ、自分の心に向き合う時間を優先して過ごしていました。
書きたいことは盛りだくさんで、書こうとすると膨大な時間が必要になりそうなので、ブログはお休みしてました(笑)

 

取り急ぎ、ご報告。

 

私はずっと、自分の過食スイッチが入るタイミングがわかりませんでした。
アルコールが入ったときは、ほぼ確実…というのはわかっていたけれど、ほとんどシラフのときに過食嘔吐するときもあり、いまいち傾向がつかめなくて。

 

だんだん「どうやら酔い具合の問題ではなさそうだ」とわかってきましたが、これといったストレス要因も見当たらない……


もちろん日々、さまざまなストレスには晒されてますが、幸運なことに最近かなりストレス解消ができていて、あんまり「人間関係で辛い」という想いもない。

 

栄養不足(糖質不足)は確実に一要因で、糖質摂取量を増やしたら、明らかに過食時に食べる量は減りました。


が、少ない量とはいえ「満腹なのに余計なものをわざわざ食べて吐く」という、微妙な過食嘔吐がどうしても治らない。

 

それでもう開き直って
過食嘔吐してもいい!!」
という前提で過ごしてみました。


開き直ってみたら、どうなるのかなって実験。

そしたら、ようやく傾向が見えてきました!
(その間、ほぼ毎日のように過食嘔吐が激化して恐怖で怯えながら、でしたが…)

 

夜、アルコールが入ると理性が吹っ飛び、帰り道にコンビニに寄って過食する

というのが今までの理解でしたが

夜、アルコールが入り、理性がゆるんだときにパスタやお米を食べると、もう「どうせ吐くんだし」と開き直って、帰り道にコンビニに寄って過食する

という回路であることに気づきました。

 

つまり「夜の糖質」がどうしても自分に許せない。

 

最近ずっと頑張って、摂食障害を治す(=栄養不足を解消する)ために、糖質への恐怖心と闘ってきました。


少しずつ糖質量を増やし、玄米とかもち麦ごはんとか食べるようにしてきたのですが…
私の「糖質は敵」思考、なんて強固なんでしょう!!

 

昼はいいんです。
昼であれば、そのあと動くから、少しくらい糖質が多くても吐かない。
昼に吐いた回数は、そんなに多くありません。

 

でも、夜はどうしてもダメみたい。
「糖質を摂らなきゃ」と頑張っていたのが裏目に出て、夜に糖質を摂るとビックリするほど過食嘔吐の頻度が上がってしまう(汗)

 

そもそも、糖質と「闘う」というマインド。
体重計には乗っていませんが、明らかに太り始めていて、それも怖い。
だけどもう摂食障害を治したいから、半ば無理やり糖質を摂ってる状態。

 

つまり……
今や「治療のつもりだった糖質摂取がストレス要因」になっていたんです。


治すために糖質を摂取しようと頑張っていたのに、いつの間にか糖質を摂ることがストレスになってた!!

そのことにようやく気づきました。

 

アルコールで理性がゆるんだとき、
夜なのに糖質こんなに摂ってしまった

全部出さなきゃいけない、太ってしまう

どうせなら甘いもの食べてから全吐きしよう
という思考回路になってしまう。

もはや「酔ってるかどうか」はあまり関係なくて、夜の糖質=罪の意識が強すぎて、夜に摂取すると絶対吐いてしまう。

 

これが見えてきたら、パーっと目の前が開けました。

●朝と昼は、治療のために糖質を摂取しよう(実際に、体に入れる糖質量を増やしたら、過食時に食べる量が減ったので、これは大事なことだと感じています)
●夜は、かつてのように「きっちり糖質制限してもいい」ことにしよう
(糖質解除がストレスになるくらいなら、夜は思う存分、やりたいように「完璧にセーブ」したほうがノンストレスです)

 

たぶんこれは摂食障害の専門家からすれば「根本的な解決になってない」と思います。


でも、自覚してまだ3ヶ月目の私には、いきなり「もっと糖質を摂れ、もっと米や小麦を食べろ」ということ自体がストレス。

 

なので無理はせず、ハードルを下げて
朝昼は少しくらい糖質摂る、夜は糖質15g未満まで抑える、
という、二面性のある生活をしていこうと思います。

 

そう思うとちょっと気が楽になりました(笑)
友達との食事も、なるべくランチでお願いしてみたりして。

 

とはいえ、外食の多い生活なので、全部の約束をランチにするのは無理。

そんなときに「過食嘔吐しても、くよくよしない」こと。
難しいことだけれど……「まぁ、吐いてしまうけど、絶対にいいほうに向かってるんだから、そんな自分を褒めよう」と思うようにしたら、前ほど撃沈しなくなりました。

 

いまだに三歩進んで二歩下がってます。
でも一歩は進んでる。これは絶対!
恐怖心に向き合って、心を開けるようになった私のこと、前より好きになってきました。
自分を信じて、ゆっくり進みます。

心の底から、本気で「健康的に痩せよう」と思った(涙)

プロのダンサーのレッスンを拝見しました。しかも間近で、真横から……!!

 

細くて薄くて華奢な、とても美しい体。

でも、その「細さ」は、か細くはない。

しかるべきところに、きちんと筋肉がついて、動くとその筋肉がキュッと締まって陰影がつき、芸術作品のようにキレイ。

 

かといって、ムキムキとたくましいわけでもない。

細く長く引っ張って筋肉を使っていて、かつ柔軟性もあるので、あくまで「しなやか」。

 

しなやかでありながら、とてもパワフル!

この細い体のどこにそんなエネルギーがあるのかと驚くほど、力強く床を踏み、同時に体を引き上げて踊る。

力強いから安定感があり、生命力があふれてる……。

 

見ていて涙がにじむほど、美しくて。

これほどの体、そして技術を磨くまでにかけてきた努力は、どれほどのものだったのだろう。

しかもその努力には期限がない。プロとして踊り続ける限り、その努力と創意工夫はエンドレスだ。

 

彼女を見ていたら、とても強く「健康的に痩せたい」と思った。

こんなに強く「健康的に痩せたい」と願ったことはないかもしれない。

 

今までの私は「もっと糖質量を抑えなきゃ」とか「カロリーも低くしないと」とか「日に一食だけでいいや」とか、そういう無理をすることがダイエットだと思ってきました。

 

だから今まで、体だけじゃなく、心にまで「不健康なダイエット」を強いてきた。

それで摂食障害にもなってしまって、こんなに不健康な心身の私は、当たり前だけど、なりたかった私じゃない。

 

私がなりたかったのは、

パワフルに踊れる強さがあって、

しなやかで美しい筋肉を持った

「細い体」「華奢な体」でした。

 

私は確かに少しは痩せたけれど、

それによって心が蝕まれて

生きる喜びすら感じられなくなって、

下半身はむくんで太いままで

全然、願ったような体じゃない。

 

プロである彼女は、心身ともにとても健康的。その力強い生命力が、ただすっと姿勢を正して立っているだけで、伝わってくる。

だからあれほど細くて薄い体でも、人が心配するような不健康さが、カケラもない。当たり前だけど、アスリートばりの体力を使うので、毎日ちゃんと食べているしね。

健やかでパワフルで、健全な心を持っているからこそ、真剣に体と向き合って日々磨きをかけ、悩んだときも創意工夫を重ねて、乗り越えているんじゃないかな。

 

あんなふうになりたい、って心から思った。

もちろん、プロダンサーのような体にはなれないけど(笑)

 

理想的な体になれなかったのだから、私のダイエットは間違えていたんだ。

今まで「痩せた」と喜んで、その体に固執してきたけど、こんな状態の体(と心)に固執する意味がどこにあるんだろう?

 

これまで過食嘔吐を治すためには「きちんと食べることが大事」と、さんざん読んできました。そのために「一度、太る覚悟をしないといけない」「あとで体重は戻るから大丈夫」って。

 

以下で、ステップあやさんが書いてるようなことも、何度も何度も読んできた↓

 

ameblo.jp

 

●「食べない」ことで栄養不足に陥っているから、体はどんどんそれを吸収して、ダイエットしてるのに結果的に太ってしまう⇒だからまず栄養不足を解消する

●栄養不足のせいで、心は抑うつ状態になりやすくなり、ストレス過多になるから過食嘔吐が治まらない⇒だからまず栄養不足を解消する

 

栄養不足を解消するためには、今まで「太るのが怖いから」と避けてきたもの(私の場合は糖質やカロリー)を摂取する必要がある。

でも、それを阻むのが「一度、太る覚悟をしないといけない」ということでした。

 

ステップあやさんもそうだけど、ダイエットカウンセラーや ボディメイクの人たちも、こぞって口にするのが「太る覚悟」について。

 

「今の体型が理想的じゃなかったり、無理なダイエットを強いて不調をきたしているなら、ほかの方法でやり直しをすること。やり直すときは一時的に体重は増えるけれど、また元に戻っていくものだから『太る覚悟』も必要」

 

というような言葉を何度も何度も読んだ。

みんな必ず「あとで体重は戻るから大丈夫」って言う。

 

でも怖かった。

頭では理解できても、やっぱり糖質を摂り過ぎた日は「太ってしまう」と怖くなって、吐いてなかったことにしてしまう。

 

それで、お腹がぺったんこになって、一瞬は嬉しいの。でも、よく見ると下半身は相変わらず太い……全然、痩せていないし、理想的な体なんかじゃない。

 

頭のなかは、相反する想いで、ぐるぐる。

もっと痩せたい心と、過食嘔吐をやめたい心。

糖質やカロリーを摂ろうと頑張る心と、それじゃ太ってしまうと怖がる心。

 

相反する心がいつも行ったり来たりしているから、本気で摂食障害を治したいと思っても、なかなか本腰を入れて「よし、糖質をちゃんと摂ろう」とはならない。

いつまでたっても中途半端、でした。

 

でも、美しい体と健やかな心で力強く踊るダンサーを観て、私は思いました。

 

健康的に痩せよう。

そのために食べよう。

 

今まで「痩せたい心」を手放さなきゃいけないと思ってきたけど、それは違うんだよね。

「痩せたい心」は持っていてよくて、私が理想とする体を手に入れるために「まずは太ってもいいとする」。

 

最近のブログで、あやさんが書いていたこと、そのまんまです。

★太りたくない「から」食べよう、太ること覚悟しよう(え?)|摂食障害・生き辛さからラクになりたい人が読むブログ~18年の摂食障害を越えて

 

ちゃんと

食事と心身のつながり理解したら

 

太りたくない「から」食べよう、

太るの怖い「から」太る過程は覚悟しよう

 

って考えになったんだよ。

 

この言葉が、頭のなかに残っていたんだと思う。

それがダンサーさんを観ているときに、ピタリとつながった。

 

そう。太りたくないよ、痩せたいよ、って心はたぶん変わらない。

うちのママだっていまだに年中、言ってるくらいだし(笑)

 

だからその気持ちは手放さない。むしろ、とてもとても大事にする!

大事にするからこそ、健康的に痩せたいです。

今度こそ、心身ともに健康的にスッキリと細い体になりたい。

そのために今できること……それは、食べること。

 

体の栄養バランスを整えて、心身ともにストレスの少ない状態にして、その上で「私にとって無理なく痩せる方法」をつかんでいきたい。

 

食べるようにする代わりに、ふたつのことを決めました。

 

踊ることはやめない。

筋トレを日課にする。

 

鏡を見るのが辛いからダンスをやめたくなる日があるのだけど、体の細さばかりに注目するより、たとえば「ここの筋肉が使えるようになってきたな」とか、ボディバランスを見るようにしたい。

そのためにも最近、よく家やスタジオで筋トレをしているので、その習慣を続けていきたいです。

 

今日は大好きなポテトを食べました♡

あと、鶏つくね、鶏ももの塩焼き、煮たまごも。

途中で何度も、糖質量を計算したし、バランス的には明らかに脂質が多すぎるし、量も食べすぎだし……とか考えて、吐きたいよって思ったけれど、ぐっと堪えた。

好きなものが、私の体を作ってくれるんだ。それのおかげでパワーが出るんだものって思ったら「鶏と卵、じゃがいもに感謝」って思えた。

 

たくさん食べたし、たくさん考えごとをしたせいか、夕飯のあとすぐに寝落ちしちゃったのですが(汗)

起きたら不思議なくらい、お腹がぺったんこ。お通じもいい(これ大事)。

 

怖がる心はまだあるけれど、意識が変わってきてる。

あんなふうに美しく踊れるような、健康的な細い美ボディをいつの日か!!

そのために、今はまず食材と栄養素の力を借りよう……

おいしくいただきます。どうぞよろしくお願いします。

 

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「自分に優しくする」って、どういうこと?

私がよく人から言われるのが、この言葉です。

↓ 

「いつも真面目で頑張りすぎだから、たまには自分を甘やかして、自分に優しい時間を過ごしてね」

 

摂食障害の方には、どうやら似た性格の方が多いようなので、今日はこの「自分に優しく」について書いてみます。

 

私はずーーーーっと、この「自分に優しく」の意味がわかりませんでした。
まして「自分を甘やかす」なんて、何をどうしろと言いたいのかわからない。

 

厳しすぎる糖質制限と、低すぎる自己評価によって摂食障害になった私です。
そもそもの大前提として「私は怠け者のダメな人間である」という評価を下しているし、実際それは今でも思っています。

 

だって、部屋はすぐぐちゃぐちゃになるし、洗濯物は取り込んだあとにすぐ片付けられないし、お金の管理は苦手だし、ダラダラしちゃってよく待ち合わせに遅れるし、仕事もギリギリまで手をつけないから締切遅れるし、朝は寝坊して起きられないし、深酒するし……

 

だから「自分を甘やかす」と言われると、イコール「怠惰になる」ことだと思えてしまう。
「自分に優しく」なんてしたら、果てしなく怠けてダメ人間になってしまう。

 

見た目はキチッとしてるけど、内側はダラダラ、ゆるゆる。
こんな私の一体どこが「頑張り屋さん」なの?って。みんな、真実を知らないからだよ、って。

 

だからずっと、言葉としては「自分に優しい時間を過ごすことって大切♡」と思っていても、真の「優しさ」をわかってなかった。
マッサージに行ったり、趣味の時間を作ったり、おいしいものを食べたりすることかしら?くらいに思っていました。

 

でも、まずは周囲があれほど「あなたは頑張り屋さんだよ」というのだから、いったん信じてみようと思って。
もしかしたら、ほかの人はもう少し気を抜いて生きていて、私は実際かなり無理して生きているのかもしれないと。
「自分に優しくする」ことができたら、病気を治すヒントがつかめるかもしれないって←やっぱり真面目なのかな(笑)

 

それで、心身の声(本能的な欲求)を聞いて、自分に優しくする時間を持とうと思ったものの、本当に「何をしたらいいのか」わかりませんでした(汗)


「今日は何もしない、優しい日を過ごそう」と思っても、そもそも「優しくする」の意味がわかってないから、全然できない。
無意識のうちに、仕事やらダンスのお稽古やら掃除やら、あれもこれも詰め込もうとして、いつの間にか予定を決めて、それができないと焦ってしまう。
「いいのいいの、今日はいつ何をしても、何をしなくてもいいんだから、慌てなくていいんだよ」と、自分の心を落ち着けるだけで四苦八苦。

 

そして、心に手を置いて「今、一番したいことはなぁに?」と尋ねてみても、なかなか出てこない。
「本能的な欲求を、頑固すぎる理性が抑えてつけてる」というのが、私の病気のおおもとにあるけど、ここまでガッチリと抑え込んでいるなんて、今まで気づかなかった。


おかげで、本能的な欲求がサッパリわからない。本能的な欲求に超鈍感。
「あの人に会いたい」「あそこへ行きたい」「あれが食べたい」「これを読みたい」「こんなことがしたい」が、直感的につかめない。

 

自分のしたいことさえわからないのに、
自分を甘やかす方法なんてわからない……
自分に優しくなんてできません……って、凹みそうになった。

 

だけどね……

頭のどこかで、ぼんやりと「私にとって、自分に優しい時間ってなんだろう」「私を甘やかすとしたら、どんな方法があるんだろう」と考えながら、ゆったりと過ごしているうちに、ふと見えてきたんです。

 

★私にとっての「自分に優しくする」ことは、すなわち「感情を掘り下げる」こと。
★私にとっての「自分を甘やかす」方法とは、そこで出てきた感情を「いいよいいよ」って認めてあげること。

 

普段、蓋をしてしまいがちな”負の感情”を、ひとつひとつ掘り起こす。
そして「わぁ、これは辛かったね、我慢なくていいんだよ」「そっか、それに傷ついたんだね、でも嫌だなって言えてよかったよね」と、認めてあげる時間。


振り返ってる間は「小さな私」がいて、その子に向かって話してるようなイメージです。
数日分の見逃してしまった負の感情を手のひらにのせて、それを分析や評価するのではなく、ただ眺めて「嫌だったね」「悲しいのもわかるよ」と受け止めていく。
たまに思いきり泣いてしまうけど、それももちろんOK!

 

私にとっては、この振り返り作業こそが、まさに「自分に優しくする時間」なんだなと、やっと気づきました。
前に、認知行動療法のカウンセリングを受けていたときにやっていた振り返り作業の基礎が、とても役に立ちました。
そしたら、落ち込んでいた心が少しずつほぐれて、心が温かくなってきた。

 

過食嘔吐は、毎日ではないけど続いてる。今は週3回くらいかな。
だけど、過食する量は確実に減ってるのと、前ほどそのことに支配されて、落ち込まないようになってきました。

 

「病気である」ことは私の一部。厄介だし情けないけど、これは私のごく一部。構成要素のひとつでしかない。
私を形作るものは、ほかにもたくさんあって、ほかの何かを見て、私を好いてくれたり、興味を持ってくれたりする方がたくさんいる。
そのことを誇りに思いたい、と感じました。

 

自分に合った方法で、自分に優しく、ちゃんと甘やかしてあげるだけで、こんな気持ちになれるんだ……というのは、大きな発見であり、感動でした。
あんなに病気になった自分を嫌悪していた私が、自分に誇りを持てている。

 

そのとき、自分が一番「あそこにいたら心地いいかな」って思える場所に出向いて、のんびりと数日を振り返る時間。
嬉しかったことも、悲しかったことも、腹が立ったことも、興奮したことも、全部。
よいしょ、って掘り起こして、それぞれの感情をただ眺めて、負の感情を抱いた私のことも「うんうん」って優しく受けとめる。

 

これが私にとっての「優しい時間」。
ようやく見つけた「優しい時間」を大切に過ごしながら、ゆっくりと生きていきたい、と思っています。

 

あ、そして、こうしてブログに正直な気持ちを書いてるのもまた、私にとっては「優しい時間」です。

読んでくださっている方々、いつもありがとうございます。

 

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「まだらな私」でいいかもしれない!

摂食障害を治すために一目散に頑張りすぎて、ちょっと疲れてダウンしておりました。

でも、ダウンした心を回復させる方法もわからなくて、数日かなり苦しかった。

 

だんだん「自分に優しくって、どうすればいいの?」とか「自分を甘やかすことと、怠惰になることは何が違うの?」みたいな、根本的なところにも迷いが出て、頭の中は大混乱。

 

こんなときは、無理に感情を言語化しても、おかしな方向に突き進みそうだったから、ブログ更新も控えました。

 

数日、気持ちに蓋をせずにいようと思って、心地いいなと感じる場所に行き、完全に流れに身を任せて過ごしてみました。

 

そしたら……不思議なのですが、ふと「もう否定することをやめたい」と思う瞬間がありました。

 

これまでさんざん自分を否定し、自分をだまし、自分を殺して生きてきたから、それはもうやめようって。

私のいいところも悪いところも、私の身に起きるいいことも悪いことも、どれも否定しないでまるごと受け止めてみたくなった。

だって今でもう十分に厄介な状態なんだもの。これ以上、悪くなりようはないから、いったん全部を肯定的に受け止めてしまおうって。

 

そしたら、どんどん心がオープンになっていって、多少のことは「まぁそれもありかな」って受け入れられるようになってきて。

少し前に書きましたが「引き寄せてる感覚」がますます強まり、この数日で驚くほど、たくさんの嬉しい出会いがありました。

 

過食嘔吐は続いてるけど、心が開いて素直になってるから、いろんなことがどんどん流れ込んできてる感じ。

だから、過食嘔吐しても「こんな私だけど、そう悪くもない」って思えるようになってきた。

 

太りたくない、痩せてないと認められない、って思ってしまう価値観があるのも、本当の私。

自分にたくさんダメ出しして、弱い私を受け止めてあげられなかったのも、本当の私。

 

だけど、ちょっとずつ変わってきて、こんなにオープンな心になれたのも、本当の私。

たくさんの「今の私に必要な人、言葉、体験」を引き寄せられているのも、本当の私。

 

私は真っ黒じゃないし、グレーでもない。もちろん、純白でもない。

まだらで、いいんだなって思った。黒も白もある、ほかの色もところどころ混ざってる。

 

その「まだら」さが人間の個性であり、魅力なのかなと思うし、私は今までカッコつけて白い部分ばかりを人に見せてきたけど、これからは「まだらな私」を見てほしいって思ったんです。

 

生まれて初めて、そう思ったら、どんどん流れが変わってきた。

正直な人が周りに集まり出して、正直な私をそのまま受け止めてくれて、その私に必要なことが流れ込んできてる。

 

面白いものだなぁ、とビックリ。

気持ちひとつでこんなに変わるんだって。

そして、気持ちひとつで変わるなら、私はきっと摂食障害と向き合っていけるし、いつか克服できると思う。

 

そんなふうに、自分を信じられる気持ちがわき上がってきました。

 

まだまだ浮き沈みはあると思うけれど、今の私を愛しながら生きていきたいです。

 

そうそう。

ダウンしている最中に「摂食障害で落ち込んだ心を癒す書籍ボックス」を作りました!

 

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摂食障害の関連本もあれば、食べることや生きることの喜びや必要性を語った本もあるし、考え方の癖を正してくれる本もあり、瞑想で心を落ち着けるための本もあれば、改めて正しいダイエットを探るために必要な本もある。

 

未読のものもあるけど、すでにもう何度も読み直してボロボロになりかけている本も。

 

ちなみに、私には「痩せたい心をなくそう」「太る覚悟をしよう」と思うことがけっこうストレスになったので(笑)

糖質量は少し増やしつつも、ダイエットや健康の本を読んでほかにできることを探ることも、心の安定につながるなと感じています。

 

お守りのような書籍たち。

これもまた、たくさんの偶然によって探し当て、私のもとに引き寄せられた本ばかり。

 

このボックスは、当分は手放せません。

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治すことに疲れてしまった心【リブログあり】

先ほど、気持ちがぐらんぐらんになっていて辛い、という愚痴記事をアップしましたが(汗)

 

朝からあまりにもダウナーでしんどいので、いろんなブログを見て回っていたら、共感できる記事を見つけたので、リブログします。

 

ameblo.jp

 

ここに書かれた、次の言葉……まさに今の私だ(涙)

 

「治ること」に疲れてしまう時期って、必ずあると思います。

必ずあるのだから、
そんな気持ちも、クチに出したらいい。

摂食障害って、食べること・生活することそのものだから、
「一旦、離れる」ってことができなくて、
「ちょっと休憩」も無くて、
だからしんどいですよね。。。

頭の中も休まらなくて
心の中がいつもざわざわして

考えるのを辞めようって思っても、
いつもいつも頭の中をグルグルしていて

「もう考えたくない」って思っても、
やっぱり考えてしまって

「疲れた」って思っても、
心は全然休めなくて

どーにも、こーにもならない時期に、
周りが一層キラキラして見えて

「今の自分」にますます落ち込む。。。 

 

そうなの、その通りなの。もう疲れてしまった。

 

摂食障害中心で、物事を考えるのをやめよう」と思っていても、当たり前のように人はお腹がすくし、食べることを考えなきゃいけなくて、休まるときがない。

 

ある意味、いつも病気のこと、食べることを考えて生きてる。

考えたくないのに、それにとらわれていることに気づいて、ますます恐怖心を募らせる。

 

それで「あんな工夫をしてみよう」って、前向きに改善策を見つけて、普段はそれを楽しめているけど、あるときポキッと心が折れてしまいます。

 

太る心配なんかせずに、心おきなく食事を楽しんでいる人がうらやましいのに、この「太る恐怖」マインドを手放せずにいるから。

どうしても無理がある。よく「治すことが怖い」とさえ思うもの。

 

本当に治るのか……治すためにはどうしても「太る覚悟」をしないとダメなのか……私はいつか「前より太った私でも好き」なんて言える日が来るんだろうか……果てしなく遠く感じるんですけど……。

悶々としている連休最終日です。

 

 

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気持ちの揺り戻しで、ネガモード発動中

心がポキっと折れ、ダウンしています。

完全にネガティヴモード発動中です。

 

最近、たくさんの本からヒントを得て、あれこれ試行錯誤して、摂食障害を治すための努力が前向きにできていて……

 

でも、その裏側には常に「妙に(心が)快調だと、揺り戻しが大きそうだな」という不安がつきまとっていました。

 

その揺り戻しが、連休中に来てしまった。

 

仕事も趣味もすべてが、ぜんぜん楽しくない。

自分のやることなすこと、なにもかも空回りしてる。

些細なことに「どうせ私なんて」って気持ちがぐるぐる。

 

毎日、病気のこと、食事のことを気にして、怖がって生きるのに疲れた。

いつまで、こんなふうに慎重に生きなきゃいけないのかと、気が遠くなる。

 

お酒を飲みすぎないように、こんなに気を遣ってるのに、やっぱり過食嘔吐してしまう日もある。

「今はまだ仕方ない」と言い聞かせてるけど、そのうちに開き直りすぎて「過食嘔吐して何が悪いの?」って平然とした顔で習慣化したらどうしよう、って怖くてたまらない。

 

治すためにも我慢せず、食べたいものを食べたいのに、食べようとしてるのに、食べたあとはやっぱり後悔してしまう。

太る自分を受け入れるなんて、どうしても無理。太い自分のこと、きっと嫌いになってしまう。

 

思わず、セールで超ジャストサイズの、ピタッとしたジーンズを買ってしまった。

食生活改善中だし「これが履けなくなるかも」という不安がありながら、

心のどこかで「履ける私であり続けよう」と自分を追い込むために買いました。

こういう追い込み癖も、やめなきゃいけないのにね。

 

ダンスも、やめたくてたまらない。

体型を気にして、ダンスを踊っている自分を直視できない。

前はきちっと鏡を見て、ダメなところは直す努力ができてたけど、今は無理。

鏡を見てると、ダンスが下手な自分、そしてポテッと太い脚が見えて苦しい。

「こんなに下手で、こんな体型で、ヤル気もなくて、踊ってる意味ある?」と思えてくる。

 

昨日に至っては、リハーサルを休んでしまいました。

あと、ふたつ特別講座を予約してたのに、片方は間に合わなかった(キャンセルできないから、ひとつ余分に支払った)。

踊りたい気持ちが出ないから、家からなかなか出られない。

そんな自分がますます嫌になる。バカみたい。何してるんだろう。

 

仕事も、病気のために休み休みやってたせいで溜まってしまって、追いつかない。

締切が重なりすぎて、ぜんぜん終わらないし、ヤル気もないからダラダラ働いてる。

もう全部が嫌で、投げ出したい。

 

そんななか、唯一の救いは読書。

届いたばかりの本がたくさんあって、それを読んでいるときは、ホッとします。

たくさんのヒントがある本もあれば、共感できて泣きそうになる本もある。

 

揺り戻しは覚悟してたけど、最近かなりアッパーだったから、反動大きいです…。

 

せめてフラットラインに戻したい。

今週はあまり人との予定を入れず、なるべく家で過ごしたいな。家から出たくない。

連休明けに心療内科を予約してあるので、先生と話してきます……。

 

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